「ここに来てよかった」。。。
「今日いらしてくださったお客様ね、とっても素敵な方だったのよー!」
コンサルティングの仕事を終えて、
夕方児童クラブに娘を迎えに行って車に乗ると、
わたしはいつも娘にこう言っています。
気がついてみると、いつもいつもいつもです。
「あぁ、この人に出会えて本当に良かった」と心底思います。
お客様が、
こぼれる笑顔とともに「ここに来てよかった」と安堵する。
その瞬間の美しさは、
まるで映画のワンシーンのようで、
これを見ることができるのって、本当にものすごい役得。
立ち会えた喜びと、
「人というのは何という神々しい存在なんだろう。」
という感謝で心は震え、
熱く、熱く、熱くなります。
【子育て相談室 根っこのこどもたち】
「君もいつか…」は映画『君の名は。』奥寺先輩の名セリフ。。。
パートナーに対して、
こうしてほしい、ああなってほしいと求める心が
どうしてもやまない。
それまではそういうことが時々あった。
そんな頃、
衝撃のラストシーン。
で、はっきりと分かった。
本当は知ってたから。ちゃんと分かった。
「あの人が生きているだけでいいんだ。」
翌朝、夫にもこどもたちに伝えた。
あっという間に
家中にほっとした空気が流れ出した。
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どうしようもなくお互いに求め合ってしまう時、
もしかしたら
相手(パートナー)が違うのかもしれない、と思う。
この人じゃない、この人じゃない、この人じゃない、
って心が暴れだす。
人は、
自分の運命を全部知っている状態で生まれてきている。
どんな人、物、出来事、言葉、時と出逢って、どう生きるのか、
どんな仕事をするのか、
誰を愛するのか。
違うことをすると、
不安になる。
怒りたくなる。
*********
映画『君の名は。』を三度目にして初めて、やっと恋愛ものとして観ることができた。
あの映画には仕掛けがてんこ盛りで、
一度目、二度目は衝撃クラッシャーで身も心も粉砕状態。
「なんだー、そうかあ…。見に行ってたんだ!
だーーから!間違わないんだ。そうだったんだあ。」とか、
「羊飼いだったんだ…。」とか、
頭の中が意味不明なつぶやきだらけになって泣いてしまった。
三度目はさすがに余裕で、
気になってた奥寺先輩の台詞とかもじっくり味わうことができた。
「前はわたしのことちょっと好きだったでしょ?
でも…、今は別に好きな子がいるみたい。」
「君もいつかちゃんと、幸せになりなさい」
ラストシーン。
瀧は三葉とすれ違う。
瀧には誰なのか分からない。
でも、間違いなく、知っている。
「君のこと、ずっと前から知っていた気がする」
「…わたしも」
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息子が4才の時、前夫と3人で暮らしていた家を出た。
「今度は
ママのことをちゃんと見て、
ママのお話をちゃんと聞いてくれる人と
結婚しようね。
ぼくも一緒に探してあげるから、
大丈夫だよ。」
二人暮らしが落ち着いた頃、
息子はそう言って
にっこりと微笑んでくれた。
それから15年後、
3年前。
「もう、大丈夫そうだね。」
とつぶやいて息子は巣立っていった。
写真は20年前当時2歳だった息子が『写ルンです』で撮ってくれたものです。
使い捨てカメラは今も健在なんだそうですね~
【子育て相談室 根っこのこどもたち】
究極の全受容、全肯定は。。。
《頑張らないのイメージは》
「かっこつけて難しいことをやろうとするなよ。6割ぐらいの力でできる簡単なことでいいんだ。」
無理をしない、頑張らない、のイメージを、父は6割という言葉で示してくれた。
「ゆうこは、『頑張れば自分はもっとできるんだ』って思っているんだろう。
でもなあ、やってみたら分かるよ。頑張っても案外出来ないものなんだ。」
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空や雲や星や花や虫や鳥をぼんやりと眺めたり、
何にもしないでいつもいつも眠っている。
父はそんなわたしの姿を見ては、
「ゆうこは怠け者なんだ。それもよし。無為安閑として時を送る、
それもまたよし。」
と言って、かんらからと笑った。
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《究極の全肯定、全受容》
「生きるもよし、死ぬもよし、全てよし」は、
父の究極の全肯定、全受容の言葉だったんだなと思う。
ゲーテの『若きウェルテルの悩み』とかヘッセの『車輪の下』とかジッドの『狭き門』とか。
本ばかり読んで中2病に浸って、「死にたい」と泣いている娘だった。
父は「生きるもよし、死ぬもよし、全てよし。」と言い、豪快に笑った。
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「悠々と生きるように。」
いつもいつもいつも父が望んだのは、それだけだった。
「人生はトントンで上出来なんだ。」
【子育て相談室 根っこのこどもたち】