子育て相談室 根っこのこどもたち

子育てがうまくできないってつらくなったら読んでください。心が軽く、気持ちが楽になります。

大丈夫だよ。。。

わたしが19才の頃のことだ。

父と電車に乗った。
平日の正午過ぎの電車は空いていて、

わたしと父は並んで座った。

 

「わたしは『社会不適応者』なの?」

 

って尋ねた瞬間、涙がこぼれた。

「大丈夫だよ。ゆうこは学生なんだ。
まだ社会に出ていないだろう。
それに、
社会に適応出来ている人間など、
本当は誰もいない。
そう見えるだけなんだよ」

 

思春期真っ最中のわたしに
「頑張っても案外できないもんだぞ」
って言って、父は愉快そうに笑った。

 

まわりの人がみんな
「あなたはどうしてもっと頑張れないの?」
って言う中で、

「ゆうこは頑張るんじゃないぞー!」
という父の応援が、
不安定な年頃のわたしを支えてくれた。

 

15年前、 父が
亡くなるその日の朝に電話をくれて

 「ゆうこは頑張ってるね。 
 これからも頑張ってね」
と言って、
それが最期の言葉になった。

 

いつまでも耳に残る
すごく優しい声だった。

 

父は、
旧制中学を卒業したばかりの若い時分に
小学校の代用教員をしていた。
わたしが生まれるより何年も前に
教員を辞めていたけれど、
 
わたしにとって、
父はずっと学校の先生だった。
 
なぜなら
父は教員をしていた頃の想い出を
何度も何度も話してくれたし、
父が教えた『こどもたち』は
すっかり大人になっても家を訪ねてくださった。
父が亡くなってからも、
お線香をあげて想い出話をしに来てくださる。
生徒さんたちから
「先生は…」って、
宝物のような想い出を伺う時、
嬉しくて胸がどきどきする。

生徒さんたち皆さんのおかげで
父の人生は本当に幸せだったんだと思う。
 
父は、 
「こどもはみんな可愛いよ」
って、いつもいつもいつも心から言っていた。

わたしが、
『学校』という場所がどんなに苦手でも、
『学校の先生』に親愛の情があるのは
『学校の先生』だった父が大好きだったから。
 
2020
年。
学校は、
いまだかつてない大きな変化をする。

大丈夫、心配ない。

 

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